コラム3 言葉は日本語も英語も、わりと同じように変化をしていく

リレイン的な解釈で英語を楽にするコラム。

英語の文法学習において、しばしば「何の後に何を付けるか」「何とこれを組み合わせるか」といったテクニカルなアプローチが用いられます。

一般化している事は知っておくことは良いとは思うのですが、なぜそうなったかという本質を知ることで、小手先の知識ではなくて、大枠で捉えてシンプルに応用できるようになります。

もちろん、私は言語学者ではなく、あくまで感覚と経験に基づくアプローチを提案しています。英語を複雑に考える習慣を脱し、より自然に理解することを目指しています。

前提1 私たちは人間である

まず前提としては使う言葉自体は違っても、人間という生物であるという事。
だから、身体の機能や行動や思想の本質は似たり寄ったりです。
もちろん教育や環境で違いはあるとは思いますが、それぞれ喜怒哀楽を持っていて五感を使っている人間です。

私たちは別の次元の存在と対話しているのではなく、同じくらいの生活を送る人々とコミュニケーションをとっています。言葉は、私たちの日常生活や必要性に基づいて変化し、適切な形に適応していきます。

前提2 日本人は日本語を習得している

ここで重要なのは、一般的な日本人は中学生になる頃までには日本語を習得しているという点です。

つまり一つの言語を習得した実績があり、さまざまな表現を説明できる能力を持っています。
むしろ、高すぎる日本語表現力と、低い英語表現力のギャップで言葉が出ないという話はよくあります。

重要なのは、日本語での経験が英語にも適用されるということです。逆もまた然りです。この視点から、何が有効で何が問題なのかをシンプルに理解することができます。

例えば
「アルファベットの発音が全然違う」
ということは
「あいうえおの発音が全然違う」という事

日本語の文法を必死に勉強した非ネイティブの方が、全然違う「あいうえお」をベースに話しても、残念ながら聞き取ってあげられないかもしれません
だから、発音は本当に近づけないといけないと考えられます。

法則1 人間は日常において言葉を楽にする。

日常生活において人間は生存が主目的になるので、基本は面倒くさがりの性質があります。

頻繁に使用する口語が楽になるように、重要度が低い部分を削っていくということもあります。
より楽に伝える為に、気軽さが出ることもあります。

日常の言葉はとてもラフにカジュアルに変化します。
「飯」「風呂」「寝る」だけですべての会話を完結するのが昭和的なオヤジとされていたこともありました。
近年は「かわいい」と「やばい」だけで全て表現する人もいるでしょう。

英語もそういうことが当然あって、最近のアメリカ人はgetやlikeなどを多用するという話もあります。
getは「飯」「風呂」「寝る」を動詞として全部表現できるのではないでしょうか?

もちろん、やばいとかわいいしか言わないと、お利巧とは思われないのが日本ですが、英語でもgetとlikeなど少ないワードに頼り切って何とかしていると、お利巧とは思われないようです。

英語は日本語よりも省略するというより、言葉をつなげてショートカットするイメージの方が強いです。
なぜかと言ったら、それが英語の声の出し方とメッセージ性に合理的だったから自然にそうなっていった。
のだと思います。

口語にしたときに必要なポイントを楽に伝えようと繰り返す中で、皆が良いと思った方へ崩れてくる。
言いにくい、読みにくい言葉は、自然に廃れたり置き換えられたりするんですね。

その崩れた方がそのうち定番になる事もあり、それを文法的に解説すると難解なテストになってくるのですが、そういう現象はどこでも起こりえます。伝わるなら短く楽な方が良いのが日常の言葉です。

実際、日本人が日本語の口語の崩れについて文法的な解説を求められても、難しいと思います。
流行っているとか、楽だからとか、それっぽいからとか、つまり「テキトー」ではないでしょうか?

法則2 言葉は感情や状況に合わせてわりと同じように変化する。

日本語では、短く鋭い言葉は命令や意図が強く、長く助長な言葉は遠回しでボカしていたりすることが多いと思います。
例えば、危険にかかわる状況で「止めて!」と言うときに長文でぼかしたりはしないと思います。

日本語でもそうだから、英語でもだいたいそういう事になります。
例えばCanは強い言葉でCoouldはそれより弱い。
もちろん言い方一つでも変化はありますが、通常は強くはっきり言うほど、強く強制感が高くなる。
そして遠回しの方が、時と場合によっては丁寧さや威厳を高められるような気がします。

言葉というよりも人間の法則で、おそらく様々な言語で似たようなことになっていると思います。
この一例に限らず、あくまで言葉として口の使い方と出る音が違うだけで、音の雰囲気から感じるイメージは共通点が多いと考えると、理解が楽になると思います。

結論 言葉は人間が生きている時に使用するツールであって、英語は特別ではない。

英語も、日本語と同じく人間がコミュニケーションを取るためのツールです。
特別なものではなく、共通の本質を持っています。
それどころか、世界の言語を見ても、文法のパターンは限られていて、単語を入れ替えれば成立するという例も多く、本質的に同じということを主張する言語学者もいます。

そう考えれば、日本語話者として、もっと英語をシンプルに考えることも出来ると思います。

written by Lirein

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